2006年6月25日日曜日

無言のコミュニケーションとリーダー論 [memo]

ワールドカップもいよいよ決勝トーナメント.私はサッカーには詳しくなく,ワールドカップの時だけサッカーをテレビで見るような「にわかファン」なんだけど,それでもこの時期は楽しみたいので,前日の試合戦評をマニアな友人に聞いたりしている.その中で「へぇー」と思ったのは,監督は試合中の選手交代を無言のコミュニケーションに使っているという話.サッカーは試合中に頻繁に選手と話せないスポーツだしピッチの上では大声を出しても聞こえないから,要所で選手交代をすることで,例えば大きい選手を入れればパワープレーを,速い選手を入れればスピードプレーを,ディフェンスを厚くすればリードを守りきる展開を促すということらしい.

コミュニケーションの重要性やメンバーに明確な方針を示すことは,開発現場でももちろん同じ.以前書いた マネージャーさん もそういえば (職場では) 口数の少ない方で,私が彼の直属の部下だった時代に明確な指示を受けたことは数えるほどしかなかった.しかもそのやり方において口を出されたことは,ただの1度としてなかった.ただ,彼の行動を見ていれば,自分が次に何をすれば良いのかは明確に伝わってきた.そんな方だった.

もちろん,これは誰にでもできることではないし,一般的に推奨されるコミュニケーションの取り方ではないかもしれない.「本当のようなウソを見抜く!」 で有名なセブン・イレブンの鈴木 敏文氏は「テレビ会議なんかでは物事は伝わらない」として,全国のエリアマネージャーを東京に集めてミーティングを開くと言うが,大声を出さなくても声が聞こえる企業内や開発現場においては face-to-face できちんと話を伝える方が有効とされている.

一方で,いわゆるリーダー論やコーチング手法には「部下に物事を伝えすぎるな」というものもある.あまり細かく指示を出しすぎると,その部下は「あ,俺って信用されてないのかな?」と思ってしまい,返って自分自身が信頼を無くすということだ.ある程度権限委託を行い,部下に責任を意識させることも重要と言われている.

結局,コミュニケーションや方針の明確化,メンバー全員が共通認識の基にチームが1つの方向を向くことは,どの組織においてもクリティカルだということは普遍であっても,そこに至る「手段」に王道は無いというところがマネージメントの難しさなのだろう.自分のスタイルやメンバーの性格,チームの目的とその規模,組織の環境など様々なファクターを総合的に判断しながら,そこにベストフィットする手法を用いることができるリーダーが,本来の意味でのリーダーということになる.私の元上司の無言の (とまでは言わないが口数が少ない) コミュニケーションに基く放任主義と鈴木氏のパワーマネージメントは対局にあるが,どちらも目的は有効に達成していたのだろうし,いわゆるアジャイル,スクラム,XP などといった最近の開発手法だって単なる手段にすぎないはずだ (アジャイル開発が目的にすり変わってしまっている開発現場はたまに見かけるが).

楽天の野村 克也氏は「組織はリーダーの力量以上には伸びない」と言ったが,人の上に立つ者はこの言葉を胸に刻むべきだろうし,自分のリーダーが尊敬できなければそんなところはさっさと辞めた方が良いのかもしれない.

サッカーの話に戻すと,私が話を聞く友人からは,今回の日本代表は「メンバー全員がその時何をやれば良いか」という意識が共有できていなかった…というかジーコがそれを行っていなかった,という意見が多い.「名選手,名監督にあらず」と言ってしまえばそれまでだが,そこで1つ言っておきたいのは,その逆は真ではないということ,つまり「名監督は名選手でなければいけない」ということだ.自分が体験していないことを選手に伝えることはできない.開発現場だってそれは同じだ.メンバーはリーダーを,まずはリーダーではなく「プレーヤーとして尊敬できるか」という観点で見るし,自分でろくに設計・実装ができないリーダーは信用されない.そもそもそんな輩に工数を正しく見積ることなんてできっこない.


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